読書の旅 4 「あのころはフリードリヒがいた」 |
読み終えて痛みで胸が震える本である。
1925年から1942年までの17年間のドイツが舞台である。ドイツがナチスを選び、少しずつユダヤ人を排斥していった時代である。一体どうして普通の人々があんなことができるまでになっていったのか、その疑問を持って読み進めていくとたくさんのヒントがもらえると思う。
1925年、アパートの2階でぼくが生まれた1週間後に、3階でユダヤ人のフリードリヒ・シュナイダーが生まれた。当時ドイツは大変なインフレがようやく収まったが、人々は貯金をはたきつくし町には失業者があふれていた。ぼくの父親も失業中で生活は困窮していた。反対にシュナイダー家の父親は郵便局員で生活は安定していた。二人の誕生が近かったことから家族同士のつながりが生まれ、親しくなっていく。お互いの状況を思いやり、さりげない援助をしあうのである。そしてぼくとフリードリヒも何でも話し合える親友として育ってゆく。
物語の最初ではシュナイダー家が経済的に困窮しているぼくの家族を思いやる場面が語られ、後半ではぼくの家族がユダヤ人迫害が始まっているなかでぎりぎりの援助をする姿が描かれている。ぼくの父親はナチス党員になって出世し、ユダヤ人のシュナイダーさんはあらゆる職業から追放され一家は迫害されてゆくからである。ナチス党員としてドイツから逃亡することを勧めるぼくの父親に対して、シュナイダー氏は20世紀の国家が中世のようなことをするはずがないと答える。シュナイダー氏の楽観は人間として当然のことだと思う。一体誰があのようなむごいことを国家が、人間がすると考えたであろうか。
思うに、ユダヤ人迫害の始まりは「ヘイトスピーチ」からである、と言えるだろう。
ぼくのおじいさんは「われわれはキリスト教徒だ。われわれの主を十字架にかけたのは、ユダヤ人なんだぞ」と言う。
アパートの家主は「ドイツ経済の破滅はユダヤ人のせいである」と言う。また、申命記に書かれている「血を肉と一緒に食べてはいけない」という律法を守るためにユダヤ教徒が特別な屠殺法を用いることも攻撃の材料にされた。
少年たちはナチスのリーダーから事細かにユダヤ人の悪口を聞かされ、「ユダヤ人はわれわれの禍の元だ」と繰り返し復唱させられる。
ユダヤ人の商店に対するいやがらせが始まったころは、ナチスの親衛隊をものともせず「私はこの店で買いたいのよ」と言って実行できたおばさんたちがいた。しかしさまざまな法律を積み重ね、やがてユダヤ人と付き合うとドイツ人でも収容所行きになる状況が生まれる。そうなると誰も守りたくても守れなくなってくるのである。
またぼく自身、群衆の「よいっーしょ」の掛け声を聞いているうちに、自分の口からも「よいっーしょ」の掛け声が自然に出てきて、ともにユダヤ人の建物を破壊することに喜びと興奮を覚えてしまうという場面がある。そのような群集心理は自分の中にも十分あり得そうでこわいと思った。
悲劇的な最終章から、激しい憤りと深い悲しみに襲われる本書であるが、三人のすばらしい人物を取り上げておきたい。一人は裁判官。一人は先生。そしてもうひとりはヘルガというフリードリヒが初めて恋した女性。この三人の言葉と行動は注目に値する。
さて、今、週刊誌のタイトルや本のタイトルに中国や韓国を軽侮するものが目立つ。韓国に親しい友人が何人もいる私自身、もう韓国は・・・と言ってはっとしたことがある。群集心理である。彼らの深いやさしさを知っているのにどうしてそんなことを言ったのだろうと心から恥ずかしく思った。
さて、この本の著者ハンス・ペーター・リヒターはぼくと同じ1925年生まれ。この本の続編ともいえる「ぼくたちもそこにいた」「若い兵士のとき」も書いている。この本が辛すぎるという方には同じテーマで「あらしの前」「あらしのあと」(ドラ・ド・ヨング作)をお勧めしたい。
すべて岩波少年文庫。¥680