2016年 10月 03日
心が燃える説教 |
9月は第2日曜には、仕事があって午前中抜けられず、午後からの教会の会議にどうにか間に合った。第3日曜はM牧師の説教で、第4日曜には夫の姉夫婦のそれぞれ1周忌、3回忌の法要があった。やさしいお姉さんだったから偲びたかったので礼拝を欠席した。
そして今日、私の魂は渇いていたと思う。
久しぶりに神様のみ言葉を聞いた。
うれしかったので眠れない。心が燃える説教だった。
この説教のことをもう一度思い起こしてメモしておかなくては、と思う。
私は忘れっぽい人間だから。
聖書箇所はヨハネ15:18から16:4 『迫害の予告』
堀江先生はまず第1段に
「あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した」という言葉から
「わたしたちはイエス様によって信仰者となるように選ばれた者」であることを説く。
そして「神に属する者は神の言葉を聞く者である」
「私たちはこの世の人とちがって、神の言葉によって生きる者として選び出されたものである」と説く。
第2段に
「選ばれることは愛されること」と説く。
「神様に選ばれるとは神様との愛の関係に生きるように招かれること。」
だから私たちは神様の心を大切にしたい。神様が私たちを大切に思っていてくださるのだから。
第3段に
この世が光を憎むこと、そして迫害することを話された。
救い主を待ち続けたイスラエルの、しかも宗教指導者がイエスを憎む。
なんというパラドックス。
ペテロが迫害をも喜んだことから私たちも迫害の向こうには喜びがあるかもしれない、と説く。
金沢元町教会の初代牧師 長尾巻は激しい迫害にあった。
自分だけならまだしも、子どもが川に突き落とされたりした。
けれどもその子どももイエス様のためなら「いいの、いいの」と言ったという。
最後に聖霊の働きを説く。
「聖霊によってイエス様のことを証し、人々に伝える者となる」と説く。
「そのために選ばれていることを知り、その選びに応えようとします」
ヨハネ福音書のこの箇所は今学んでいるマタイ福音書の迫害予告とも重なる。またそこには、イエスの仲間であると言い表すことの大切さが書かれている。
私は昨年夫の母が亡くなったので年賀状を出さなかった。
そしてせっせと喪中はがきを書いている夫の横で、
そのはがきを作った私が1通も出さなかったので(私は本当に筆無精)
今年はクリスマスカードを出すことにしようと思う。
友人たち一人一人にカードを書こう、と思う。
とりあえず、明日はカードを買ってこよう。
by pompom518
| 2016-10-03 02:07
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