2017年 04月 11日
エロイ エロイ レマ サバクタニ |
受難週である。
大澤先生の2回目の説教は「キリストは陰府の底まで伴われる」と題して
マルコ15:34からであった。
キリストが十字架上で叫ばれる「エロイ エロイ レマ サバクタニ」。
(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)
この言葉は私には悲痛な響きを持った、不可解な言葉であった。
イエス様と一心同体といえるほどの歩みをしてきた神様が
どうして死の間際にイエス様を見捨てることができるのだろうか?
それとも、神様はあまりに悲しくてやりきれなくて顔を隠されたのだろうか?
きょうの説教を聞いて少し謎が解けた。
まず、イエス様は私たち人間が経験するすべての苦しみを経験し、
いや、以上の苦しみを経験されたということ。
そのことによって絶望するすべての人々と連帯し、慰め主、救い主となられたこと。
大澤先生の説教は書き言葉で見るととても素敵なリズムがあると感じる。
書き言葉ではまだ印刷されていないので、説教中必死にメモを取らなければならないのだけれども・・・
大澤先生の説教中、心に残った次の言葉はメモしておきたい。
〈主イエスは神から拒否された。
神なんかいないというよりもっと厳しい苦しい絶望、
裁きとしての、のろいとしての死を死なれている。
それゆえ、十字架の死は『死の中の死(加藤常明)』〉
私は痛みに弱い人間である。
歯を抜いたりするとき、こんな痛み、イエス様が十字架上で釘打たれた痛みよりずっと軽い、と自分を慰める。
49歳で乳がんになって左乳房切除術を突然すると知らされたときもイエス様の十字架を思った。
また精神的につらいときにも、イエス様を仰いで慰められてきた。
私の愛する主がこんなにもつらい死を死なれたということ、
そして今まさに受難週であるというのに、
by pompom518
| 2017-04-11 00:04
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