2017年 12月 11日
律法と福音 |
今日の礼拝説教はマタイによる福音書5章17-20節。
説教題は「天の国で大いなる者と呼ばれる」
イエス様が「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。・・・・あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることはできない。」とおっしゃったところ。
このところはちょっと混乱する箇所だと思う。
大澤先生はキリスト教の「三要文(さんようもん)=使徒信条、十戒、主の祈り」の中から「十戒」を取り上げ、説教してくださった。そして堕落する前、人間は神様のことがよく分かっていたと。エバは蛇に「死んではいけないから、取って食べてはいけない」と言われたの、と答えている。つまり、神様の思いをよく理解していたということだ。神様は私たちが死なないために「戒め」を与えて下さったのだ。
福音と律法についてパウロの言葉も引用しながら語ってくださった。
また説教中に素敵な言葉がいっぱいちりばめられていたけれども、
(例えば『罪人である人間は愛されるから美しいのであり、美しいから愛されるのではない』とか)
私がいちばん福音と律法についてすっきり理解できたのは次の言葉だった。
「ヘブライ語で十戒を読むと
『私によって自由にされているあなたたちは当然、私を神とするだろう。
当然殺さないだろう。
当然盗まないだろう。』となるというところ。
神様を父と呼び、自分を神様の子と思う者は
どうして人が殺せるだろう。(殺せるはずがない。)
どうして盗めるだろう。(盗めるはずがない。)
殺すどころか、腹を立てることさえできないはずだ。
でも、私、夫に腹は立てるし、乱暴な言葉は使うし、夫の時間を惜しげもなく盗んでいる。
あれ?どうしてだろう??
私、神様の子のはずなのに???
おかしいなあ???
by pompom518
| 2017-12-11 00:41
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