2015年 01月 29日
良い実 |
恐ろしい言葉である。「良い実」とは何か?
それはガラテヤ書5章22節にある「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」のことか?と問う姉妹に、堀江牧師は「イエスにつながることだ」と思うと答えられた。私はすばらしい答えだと思った。生きているイエスさまにつながることでしか私たちは良い実などひとつもつけられない存在なのだから。
ヨハネ福音書15章前半にイエスさまが「私につながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」とあるが、堀江牧師はこの部分を引用された。
自分で「愛の人になろう」「平和を実現しよう」「いつも喜んでいよう」「親切な人になろう」とあくせく思い悩むことはファリサイ的だ。苦しい。
生きているイエスさまとつながることでイエスさまが「良い実」が結ばせてくださるのだ。
島崎先生は「良き実を人間の手で生み出しうると考えるところに人間の罪がある。」(マタイ福音書と現代(1)178p)と書いている。然り、と思う。
by pompom518
| 2015-01-29 10:07
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