2015年 03月 30日
再臨を待ち望む信仰の旅 |
昨日のうちに礼拝説教について書き留めておきたいと思っていたのだが、再臨ということを考えているうちに夜中の1時を過ぎて眠ってしまった。再臨がどのようなかたちであるのか、具体的なことは説教の中で触れられなかったが、堀江牧師は次のようにおっしゃった。
「再臨の約束を信じないと信仰生活は揺らぎます。再臨を信じるということは、私たちは神の国を目指す信仰の旅をしていること」
「再臨を信じ、神の国を目指す旅をする人が、よき人生を送ることができます。たとい殉教の死を遂げたとしても、自分の人生を神様と共に歩んだ人生として納得できる」
「(荒野で)イスラエルは今しか、考えられなくなったのです。今さえよければよかったのです。」「困難は神に信頼を寄せるチャンスなのです」
「キリストの再臨による神の国の到来を信じない人は、今しか考えないし、今だけ問題にします」
「もし自分の幸せを人生の目的にするなら、主の祈りは必要ありません」
「主の祈りは神さまのみ心が行われることを祈ります。困難の解決も自分の願い通りでなく神のみ心のままに解決させるのが最善です」
「再臨は遅れているのではなく、滅びる人が一人もなく、皆が悔い改めるのを神様が待っているのです」
「主の祈りに生きるように悔い改めましょう」
もうすぐイースター。イエスさまの復活ということも信じがたいことだけれども復活がなければ今日のキリスト教はなかったと思う。復活が真実で、神の言葉が本当だったという驚き、畏れ、喜び、感動が弟子たちを突き動かしたのだ。神の言葉は真実であるということ、この重みをかみしめて歩みたい。
by pompom518
| 2015-03-30 10:12
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