読書の旅 6 『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』 |
安保関連法案が国会を通過した今だからこそこのノン・フィクションを読んでおきたい。作者アレン・ネルソンは貧しい家庭に生まれ父親から暴力を受けつつ成長する。1年あまりで高校を中退したある日、海兵隊の採用担当の職員から声をかけられる。彼は「海兵隊員になれば、こんな立派な制服が着られて、おいしい食事もたらふく味わえて、しかも、お金と名誉も手に入るのだ。」と言う。人種差別の激しかった当時のアメリカ(1960年代)でニガーと蔑まれるのではなく、国家のために奉仕して、人々から「ありがとう」と感謝される立派なアメリカ人になれることはこの上もない喜びだと思い、アレンは迷わずサインする。
母親は反対したけれども、1965年18歳でアレンは海兵隊に入隊した。過酷な訓練の日々が始まった。上官への絶対的な服従がまずたたきこまれる。上官から屈辱的な言葉を浴びせられても命令に忠実である訓練に続いて、素手で人を殺す訓練。人を殺すことをなんとも思わない心を作る。数か月で若者の心と肉体は無慈悲で暴力的なものに変えられるという。
アメリカでの訓練を終えてアレンたちは沖縄の嘉手納基地に到着する。ベトナム戦争に行く前にさらに実践的な訓練をするためだ。アメリカ兵はベトナム人のことを「グークス」とバカにした呼び名で呼んでいたが、日本人も「ジャップ」と蔑み、遊んだあとの女性やタクシーの運転手にお金を支払わないことはしょっちゅうだった。兵士たちの中でも海兵隊は「獣」と恐れられ沖縄の人々に対して残忍で冷酷であったと彼は言う。アメリカは兵士たちの犯罪を教育の成果だと満足していたはずだとも言う。
いよいよベトナムで本当の戦争に参入する。体重60キロの彼は70キロの装備を背負ってジャングルの中をひたすら歩く。何日も歩いた後で最初の銃撃戦が始まり仲間の兵士が撃たれる。反射的に助けに行ったアレンは恐怖に凍りつく。顔のない顔、こぼれ落ちる脳みそ…アレンは敵を殺すことを誓う。初めてグークスを殺したとき彼は吐き気がして吐いてしまった。上官には「すぐになれる」と言われたが決してなれることはなかった。女性も子どもも老人もさまざまな残酷な方法で殺し、火を放つ日々が続く。無感覚になんのためらいもなく。敵を殺すと多くのアメリカ兵はベトナム人の耳を切り取ってそれにヒモを通し首からぶら下げるのだという。殺人マシーンと化して人間性の最後のひとかけらさえ失ってしまう兵士を見て自分もあのようになるのでは…と彼は恐れる。一線を越えてはならないという感覚は消えないものなのだという。
あるときアレンは決定的なできごとに出会う。それは彼の戦争への考え方を変えさせた。防空壕の中で若いベトナム女性の出産に出会ったのである。自分の母もあのように自分を産んだのか、ベトナム人は決してグークスではない、生命のある人間だという思いが湧きおこり母や姉妹の顔が目に浮かぶ。
19歳で彼はベトナムを去り地中海やハワイで勤務し4年の契約を終える。しかし家に帰っても彼にやすらぎはおとずれなかった。毎晩悪夢にうなされて叫ぶ彼は家を追い出され23歳でホームレスとなったのである。そんな彼を救ったのが小学校教師のダイアンと子どもたちであった。学校で戦争の話をしてみないかと言われて語ったときひとりの女の子が「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」と訊ねる。彼は迷ったすえに目を閉じて「YES」と答える。するとその女の子は彼をやさしく抱きしめてくれたのだった。彼はその後精神科医の治療を受けながらPTSDから回復していく。そしてベトナムを思い出すことはとてもつらいことだけれども「ほんとうの戦争」を語る責務が自分にはあると感じるようになる。
彼はその後日米両国で講演活動を行い2009年に枯葉剤の影響で亡くなる。その遺骨の一部は石川県加賀市のお寺に眠る。今年5月3日に放送されたNNNドキュメント「9条を抱きしめて~元米海兵隊員が語る戦争と平和」はアレン・ネルソンさんの物語であるが今もインターネットで見ることができる。そのなかで「憲法9条は日本人にとってのみ大切なのではない。地球にすむすべての人間にとって大切なのだ。」と彼は語っている。
講談社「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」1404円