2016年 03月 28日
復活祭 |
世界中の多くの国で先週の金曜日は「グッドフライデー」でイースター休暇の始まりの日だった。娘の住むオーストラリアでも、月曜日も含めて4連休となっている。クリスマスと同じ重みで祝っている。
さて、私たちの教会ではCSの先生から私に早速ケーキの注文が入った。15人分のシフォンケーキの注文だったけれども、2ホールで20人分のケーキを焼いて持って行った。Happy Easterの良い思い出が子どもたちに残ればいいなあ、と思う。残った5人分は神さまが必要としている人にちょうどぴったりだった。
イースター礼拝で堀江牧師が語られたことはすべて私の心にストンと落ちてきた。そして力を与えてくれた。
堀江牧師の言葉をそのまま引用する。
「復活とは二度と死なない者として生き返ること」
「イエス様の復活を信じるとき、私たちは変えられる」
「イエス様の復活を信じる人は、新しく生まれた人であり、水と霊によって生まれた人」
「(マグダラのマリアやエマオへ行く二人の弟子が)復活のイエス様になぜ気づかなかったのか?」
「私たちも目が開かれないと、イエス様が私たちの救い主であることが分からない」
「自然な人は、神の霊に属する事柄を受け入れない(コリント一2:14)」
「聖霊を受けていない人は、復活の主イエスとの関わり、交わりを持つことはできません」
「イエス様の復活を信じるとは、イエス様が復活されたことを信じるだけではなく、聖霊を受けて、私たちが新しく生まれることを信じること」
「私たち信仰者に対して絶大な働きをする神の力を悟ることができるようにと祈っています」
「(イエス様を復活させた)神の絶大な力が、あなたに対して絶大な働きをなさる」
「(青虫はやがて蝶になる。)罪人の青虫が、神の子という蝶になったのです」
私はあまり「大変だからできない」と思わない。
時間的に無理だと判断することはもちろんある。
でも「あれもしてこれもして大変」とは滅多に思わない。
その理由がきょうわかった。
それは私はなんでも神さまにお願いして神さまがやってくれるからなのだ、と。
もちろん私が完璧主義でない、いい加減な性格だからということも大いに関係してるだろうけど。
この日も朝からケーキに生クリームとイチゴで飾りつけをして、礼拝の司式をして、そのあと会堂管理委員会に出席した。でも大変じゃない。働いているのは神さま。神さま、お疲れさまですって私は言いたい。
家に帰ってぽむちゃん(犬)と長い散歩をし、父母と夫と夕食を共にし、お風呂に入って「真田丸」を見、夫とお茶を飲んで本を読んだ。元町教会の130周年の記念会に私は「長尾巻」についてお知らせしたいと思った。こんな信仰者が私たちの初代牧師であったことを知り、信仰の灯を燃やせたら・・・という考えがふっと浮かんできたのだ。これもきっと神さまのなせるわざ。もしそうならばきっと完結するだろう。と、信じられるのは幸いなことだ。
by pompom518
| 2016-03-28 10:03
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