クリスマスカード |
クリスマスカードを全部書き終えた。
2部以外は発送も終えた。
年賀状が書けない年がこれからも続くだろうし
友だちにクリスマスカードと一緒に教会の案内のはがきも同封できるし
これからは年賀状でなくカードにしようかと考えている。
これまで私がクリスチャンだと知らなかった友だちもいるので
驚かれるかもしれないけど、
私としても決まり切った年賀状よりはいいかな?と思ってる。
ちなみにカードには今年一年を振り返った次の手紙もつけた。
クリスマス おめでとうございます!
昨年は夫の母を天に送り、今年は私の母も介護が必要になりました。
父も86歳です。
父は認知症の進んだ母を毎日みていますので、
私も近くに住む両親を毎日訪ねるようにしています。
同じことを何回も聞いたり言ったりしていますが、
母が大きな声で笑うと父も私もうれしくなります。
母の姿は「未来の私」であると思うとちょっと心配になりますが
すべてをイエス様にゆだねて毎日喜んでいます。
今年は「ざぶん賞」の作文審査を1次選考から最終選考まで担当させていただきました。有意義な日々でした。
娘が春と秋にオーストラリアから帰省してくれて、美しい季節を一緒に過ごせました。
隣りに住む孫たちも小学校2年生と年中組になりました。
5月には孫のピアノの発表会に私もしゃしゃり出て「主よ 人の望みの喜びよ」を弾きました。
6月、7月、8月はアメリカ・フランスの学生がホームステイしていましたので、アメリカやフランスの事情を聞くことができました。
10月には父が行きたがっていた知覧特攻記念館と、娘が希望した由布院を旅しました。母が一緒にいけないために、親子3代3人の駆け足旅でしたが、きっと忘れられない思い出になると思います。
12月に夫は実家の家業のしいたけ栽培を退職しました。
いろいろ心痛めることがありました。
そして今日、私は近くの小学校でのボランティアで
「世界で一番の贈りもの」(マイケル・モーパーゴ作)を6年生に読みました。
1914年の西部戦線でイギリス軍とドイツ軍がクリスマスの日に自主的に一時休戦した、本当にあったお話をベースにしています。塹壕から白旗をあげて無人地帯に出てきて、共にケーキを食べたり、語り合ったり、お酒を飲んだり、しまいにはサッカーのゲームをしたのです。暗くなって互いの陣地に帰ってからも「きよしこの夜」から始まってクリスマスキャロルを歌い続けたのです。
両軍に共通のクリスマスを祝う気持ちがあって実現したつかの間の平和です。兵士たちは個人的に仲良くできるのに、戦争をしたいのは誰なのだろう?と思います。また一度始めた戦争を終えることがいかに難しいかとも思います。戦争を終えるときに長い話し合いをするのなら、戦争の前にしてほしいと思うのですが・・・。
クリスマス・イブは今年も金沢元町教会でプロジェクター担当です。
父の古いプロジェクターの電球が切れたらどうしようとひやひやしながらPC操作にあたります。
今年もバラが咲きました。来年もきっと。