2017年 02月 13日
母と父 |
1月26日に「母の呼吸が苦しいから病院へ行こうと思う」と父から電話があった。
すぐ見に行って、これは危ないと思い救急車をお願いした。
母はその夜からずっと入院している。
肺炎になっていた。
わたしはお医者さんに
「いつ肺炎になったのか、さっぱりわからないのですが・・・」と言うと
「歳をとるとそんなもんです」とおっしゃる。
わたしも肺炎になったことがあるけれども、その時は咳が止まらず熱もあって苦しかった。
母は咳もなく熱もそんなにあるようには見えなかった。
ただ数日間ずっとだるそうにしていた。
それが肺炎、しかもかなり重度の肺炎になっていたなんて・・・
父とわたしは毎日お見舞いに行った。
ある日は「良く来てくれた。今、帰ろうと思っていたところ」と言う。
見ると、かばんにコップもタオルも全部詰め込んで退院の準備をしてあった。
母のいいところは「まだ死にたくない」という意志がしっかりしているところ。
舅がよく訪れるとあんまりいうので、
「おじいちゃんは天国だよ。お母さんを迎えにきたのかな?」と言うと
「いや、まだ迎えはいらない。まだ死にたくない」とはっきり言う。
きょうはナースにシャワー室で身体と髪を洗ってもらって
親戚の美容院にいる気分になっていた。
お昼ご飯を食べるのを手伝って、その後歯を磨くのを手伝った。
母が横になって休んだので、父とわたしは12階のレストランに向かった。
(母の病室は10階)
海辺の病院の最上階のレストランで海を見ながら言葉少なくランチを食べた。
きょうの海は穏やかで水の色もさまざまであった。
「津波が来たらあの丘は大丈夫かねえ」
東日本大震災関連の本を集中して読んでいるわたしは、それが気になった。
夕方、お医者さんから電話があって
「もう退院しても大丈夫ですよ」と言う。
「明日の朝、すぐ迎えに行きます」
と言って電話を置き、父の家に行って母のベッドを整えて明日の準備をした。
by pompom518
| 2017-02-13 23:23
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