2017年 03月 19日
説教は神様の言葉 |
週の半ばに教会に集い、祈りの課題に沿って祈る。
私たちはずっと主の日の礼拝説教のために祈っている。
もちろん、こればかりではないけれど、この祈りが課題の最初にある。
牧師の説教準備のために、
また神様が牧師を通して一人一人に語ってくださいますように、
私たちがそれをきちんと受け止めることができますようにと祈るのが最初である。
先週の水曜日に祈祷会で話していて、
礼拝説教で受け止める言葉が一人一人違うのだなあ、ということに改めて驚いた。
12日の説教はイエス様がペテロに「私を愛しているか」と三回問われるところからであった。
友だちはイエス様は失敗しても赦し、チャンスを下さる方だというところが深く心に残ったという。
私の心に強く迫ってきた言葉はイエス様がペテロにおっしゃった「私の羊を飼いなさい」である。
でも、このことを誰にも言えなかった。
その意味するところをどう考えて良いかわからないからである。
イエス様は「子羊を飼いなさい」「羊の世話をしなさい」「羊を飼いなさい」と
言葉を少し変えて三回おっしゃっている。
イエス様のおっしゃることは具体的には家庭集会を持つように、
ということであろうか?と漠然と考えている。
もしそうならば「み言葉の通りになりますように」と祈る。
新しい牧師が着任してからゆっくりでいいので神様が私に望むことが実現されますようにと祈る。
きょう堀江牧師、最後から2番目の説教だった。
讃美歌を歌っている最中に急に涙があふれた。
こんなことではいけない。
来週は堀江先生の最後の説教で司式は私の担当になっている。
きょうから来週の礼拝のために祈りつつ歩もう。
by pompom518
| 2017-03-19 22:50
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