2018年 01月 31日
終末期医療 |
きのう、母の入院している病院から電話があって先生からお話があるという。
私たちはいつもの時間に病院へ行って母を見舞い、先生のお話を伺った。
先生は
「脳梗塞の治療そのものはもう既に終わっている。
でも、大腸菌が尿に入り、血液にも入っている。
昨日から熱が出て,今日の昼からは食事も取れない状況である。
心臓病、糖尿病に加えて腎臓も透析しなければならないほどの状況である。
いろいろ手立てを尽くすけれどもリスクがある。
万が一の時の治療をどのようにするか、話し合いたい。」
とおっしゃった。
私は以前から母と父と話していたように
「不必要な延命治療は望みません」と言い、父の意見を求めた。
父は「転院の話かなあ?」なんてのんびりしたことを思っていたので、少し驚いたようだったけれどもそれでいい、と言ってくれた。そして細かい治療の話をした。
私は母の様子から覚悟しなくてはいけないのだなあ、と思っていたけれども涙がぽろぽろこぼれてきた。
「疑問はありませんか?」と聞かれたとき、私は「母の目は見えているのでしょうか?」と尋ねた。
すると、返ってきた答えが心打つものだった。
「我々は目が見えている、耳が聞こえている、意識があるものとして対応しています」
そうなんだ、母の尊厳はそうやって守られているのだとうれしかったし、自分もそのように話しかけてやりたいと思った。
母が何年間も診ていただいていた先生ではなく、ほんの10日ほど診ていただいている先生に大変な治療をお願いすることになるのだなあ、医療者は毎日こんなにしんどい思いを抱えているのだなあと感謝と尊敬の思いを抱いた。
by pompom518
| 2018-01-31 12:22
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