2018年 02月 21日
神の名を聖とせよ |
大澤先生の主の日の礼拝説教は「主の祈り」に入られた。
6章9節「天におられる私たちの父よ、
御名が崇められますように。」
この1節を2週(2/11、18)にわたって説教された。
「アッバ 父」と呼ばせてくださる幸いについて語られた11日の説教の中で印象的な言葉は
「私 私 私でとぐろを巻いている私たちの中に主イエスが入ってくださって「私たち」と言って下さる」
という言葉だった。
私たちはともすると自意識過剰というか自分のことしか眼中にないことが多い。でも、そんな私にイエス様が入って下さったら・・・。私はこう思うけどイエス様はどう?とか、なんだ、そんな見方もあったね。とかずいぶん楽になるんじゃないかな?と思った。
18日の説教では最初に
「これがあなたの最初の願いであるべきだ」と語られたのが強く残った。
この箇所は別の翻訳では「神の御名が聖とされますように」となる。
一体誰が神の名を汚してきたのか?というと神によって選ばれた民自身が最も汚してきたのである。
だからここは「私はあなたのお名前を汚してしまいました。どうかご自身があなたのお名前を聖なるものとして下さいますように」となる。主イエスにおいてご自身のお名前を聖いものとされた神。神様が貫いて下さったお名前とは「アッバ 父」。神様の御名を聖なるものとするとき、神様は汚した当の本人をなおも用いようとされる。
マラキ書では神様が受け入れない礼拝について書いている。
「わたしの名を軽んずる祭司たちよ。」(マラキ1/6)と神様は怒る。
そして正しい礼拝者であれとすすめる。
私は朝一番に何をしたかというと今朝は「刺繍」をした。
二番目にお祈りをした。
でもこの順序が逆だったらよかったのに、と今は思う。
by pompom518
| 2018-02-21 06:28
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