私たちが神の教会 |
大澤正芳牧師のⅡコリント書第2回目の説教。「教会とは誰のものか?」
教会はもちろん神様のものである。けれどもそれは建物や牧師をさすのでなく、私たち自身が教会なのであるということ。
私自身が動く神の教会なのだということ。そして、私自身の深い喜びと満足のために神様が神様のお仕事を少し分けて下さるということ。これが聞き取ったことであるけれども、亡くなったH兄の転入会のときの言葉が皆に紹介されて、私はそれに深い感銘を受けた。
次のようである。
「常々健全な信仰生活は日々みことばと祈りを通して主につながっていること、同時にどこかの教会に所属してそこの会員として忠実に義務を果たすことの両面がなければならないと考えていた私は、母教会に出席することが不可能になった以上、しかるべき時期にこちらの教会に加えて頂いて、皆様と共に宣教の重荷を担わなければならないと思っていました。」
「この教会で教えられることは、先ず第一に自分が無力な罪人であることを知って己を全く主の御手に委ねるという信仰の基本であり、第二には信者は孤立して在るのではなく主にある兄弟姉妹と自分とは同じ幹につながる枝であるという連帯感です。」
もう一つ驚いたことがある。
大澤先生の次の言葉である。
パウロが、「神の教会」と呼び、「聖なる者たち」と呼ぶのは、ほとんど教会としての内実を失おうとしているコリント教会に対してです。福音を取りこぼそうとしているコリント教会に対してです。
しかも、コリント教会が福音を取りこぼそうとしているのは、その不道徳や、教会内の諍い以上に、その熱心によって、自分は正しく、神に認められるにふさわしく成長したと胸を張ることによってなのです。
今朝、娘とコリントⅠを読んだ後で娘が
「どうしても自分はおごり高ぶる気持ちがむくむくと出てきてしまう」と言うのだ。
「それは私の娘だからしょうがないね。」とは言わなかったけれども「私もおんなじよ」、と言った。コリント教会もそうだったのか、と思う。


