2025年 09月 26日
クリスチャン映画『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』 |
クリスチャン映画『ボンヘッファー・・・』が完成して、11月7日から全国で公開される。
私はとても心惹かれる牧師なのでこの映画を絶対見たいと思っていた。
試写会がオンラインであるので申し込んでいたけれども、抽選なのできっと駄目だったんだろうとあきらめて、この映画を11月になったら、東京で見ようか、名古屋で見ようか、長野で見ようか?どこで見ようかと考えていた。残念ながら金沢では上映の予定はないので。
ところが、1週間ほど前にオンライン試写会に当選したというメールがパスワードとともに送られてきた。
私、すっごく嬉しかった。
9月26日金曜日午前10時から3日間限定で見ることができるので、金曜日の10時が待ち遠しかった。
始まりはボンヘッファー家の優雅な日常生活から始まるのだけれども、やがてやさしいお兄さんが戦死してしまう。お兄さんは聖書の大切なところは下線を引いておいたと言ってボンヘッファーに残してゆく。それは彼にとって生涯大切なものとなった。
ナチスは初め、そんなに大きくならないと思われていた。次の選挙で落とせばいい、という会話もあったほどなのに、どんどん台頭してゆく。その経緯はいろいろな本に詳しい。今、日本でもよく似た状況があるのかもしれないと思う。
多くのユダヤ人が虐殺されてゆくのを黙って見ていることができるだろうか?
『悪の前の沈黙は悪であり、神の前に罪である』
『私たちと教会によって最大の悪が行われた』
『私たちはもっと勇敢に信仰に立つべきだった。
もっと誠実に祈り、
もっと喜んで信じるべきだった。
もっと完全に愛すべきだった』
映画の中にはマルチン・ニーメラー牧師がナチスに連行される前の説教や連行の瞬間も描かれる。
ボンヘッファーとニーメラーとの関りも描かれていて興味深い。
私の大学時代、ドイツ語のテキストがニーメラー牧師の説教だった。
ボンヘッファーが絞首刑になったのはドイツが連合国に降伏する2週間前、ヒトラーが自殺する3週間前だった。ボンヘッファーが最後に牧師として同じ牢にとらわれていた人々に行った最後の聖餐はイエス様が十字架を覚悟して行った聖餐とまったく同じように思えた。イエス様がそこにいるかのように思えた。
映画の中に心打つ言葉がいっぱい散りばめられていた。
『今の教会はキリストなき宗教だ。しかし、必要なのは宗教なきキリストである』
『行動なき信仰は信仰ではない』
そしてエンディングにもボンヘッファーの言葉がいくつも流れた。
『教会は他者のために存在するときにのみ教会である』
『他人を裁くことによって、わたしたちは自分の悪と他者の恵みに対し盲目となる』
『私たちは人を行動の有無によってではなく、苦しみによって評価すべきである』
最後の言葉は北森嘉蔵先生の『神の痛みの神学』に通じる言葉であると思った。
私たち、長い時間かけて読んだ『神の痛みの神学』ようやく最終章を読み終えた。
次はボンヘッファー『共に生きる生活』を読む予定。
このサイトから予告編が見られます。
by pompom518
| 2025-09-26 23:05
| 読書
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