2016年 02月 29日
神さまとの交わり |
日曜日の堀江牧師の説教はヨハネ10章7節から21節からだった。先週と同じところを語られるのは珍しい。(全く同じではないけれどもほとんど同じ)
ユダヤ人たちの間違いは信仰とは律法を順守することにあると思い、律法を守ることに目がいってしまったことにある。
でも私たちの目は・・・・。
以下に堀江先生の言葉をそのまま使いたい。
・神さまが与える救いは豊かで深いものです。
・救いとは、聖霊の働きによる罪の支配からの自由であり、新しい人に造り変えられ、新しい人として生き、キリストに似た者とされていくことです。
・信仰とは、イエス様との交わりに生きることです。信仰とは神さまとの交わりに生きることです。
・羊のために命を捨てるとは、羊に対する愛を示しています。
堀江先生はこの日説教の始めに、
何をしたら心が満たされるかと思い悩んで教会に通い始めたと語られた。
そこで「キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。(ロマ15:3)」に出会い、自分の満足を求めず、自分を献げる、そこに真の心の満足があるのではないかと教えられた。このような生き方を教え続けておられるのがイエス様で私にとっての良い羊飼いだとおっしゃった。
ファリサイ派の人の目は残念ながら律法を順守することに向けられてしまったけれども、私は彼ら以上の熱心さでイエス様をみつめているだろうか?
イエス様はご自分の満足は求めなかったのに、最近の私、自分の満足ばかりを求めてぼおっとしているような気がする。
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by pompom518
| 2016-02-29 22:24
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