東北、北海道へと戦を進めていった維新の新政府軍は、上海事変、満州事変と中国への侵略を進めていく軍国主義と重なる。父が戦を止めるための交渉に努力したように、朝河貫一も平和を求める。戦争を阻止するために、ルーズベルト大統領から昭和天皇への親書を送ることも働きかけた。しかし、彼の警鐘や働きかけは無視されたのであろう。日本は戦争に突入していく。その様子を小説では次のように書いている。「祖国日本は悪霊にでも取りつかれたように戦争を拡大し、世界の中で孤立を深めている。このままでは中国ばかりか、アメリカやイギリスとの戦争まで引き起こしかねないのに、目も耳も閉ざして狂暴さをつのらせるばかりである。」
この小説は、安部龍太郎氏が2013年6月から2015年3月まで月刊「潮」に連載されたものである。今、このときに戦をなんとか押しとどめようとした親子の物語を発表することはとても意義のあることだと思う。ブログの友人に紹介された今関信子氏の「大久野島からのバトン」も今、この時だからこそ読んでおきたい物語であった。
今、このとき。9月1日の朝日新聞に『ゆらぐ文民統制』として元防衛事務次官の守屋武昌さんのインタビュー記事が掲載されていた。タイトルに
「制服組の権限拡大
文官の歯止め薄れ
政治も追認の恐れ」
とあった。
これを見て戦争法案が参議院を通過するとき、ヒゲの佐藤隊長が国会議員に「立て立て」と合図したら、自民党員が立って、それで法案が成立したと鴻池議長が言っているらしいあのテレビ画面を思い出した。これってまさしくその通り!って証明しているのではなかろうか?(そんなこと信じたくない。いやだ、間違いであってほしい。)
でも武器禁輸の約束は無効になった。
武器を売ることで生計をたてるようになったら、どこかで戦争が起きることを請い求めるようになる、あるいは起こすことを画策するようにさえなる。作ったミサイルが売れないと食べていけなくなるのだから。
今まで災害救助の正義の味方だった自衛隊は人を殺す訓練を始めたらしい。それで自衛官でさえ我が子を自衛隊に入れたくないと思うようになったそうだ。だから会社員の初任研修を自衛隊で行うようにするらしい。
もし、それが本当なら、
私の知らないところで、
私が想像する以上に戦争への道を転がり始めているとしたら、
そしてそれが『普通の国』なんだと胸を張っているとしたら、
私たちは知りたくない、と目や耳を閉ざしているわけにはいかない。
戦争を体験した父が、母が言っている。「決して戦争をしてはならない」と。そのために何かするべきことがあるはずだ。
9月4日の朝日新聞「日曜に想う」でインドの詩聖タゴールの言葉が紹介されていた。
-人間の歴史は侮辱された人間が勝利する日を、辛抱強く待っている。-
-いつの歴史をみても、正しさはマイノリティ-(少数者)の勇気あるチャレンジから始まっている。その事実にもっと謙虚で、敏感でありなさい。-
新聞ではアメリカでの黒人差別のことを書いているのだけれども、いまや「武器輸出反対」「原発反対」「戦争反対」はマイノリティになってしまったのではなかろうか?と不安になる。