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2025年 09月 02日
東京へ行く用事があったついでに上野の博物館もみておこうと思った。
夫は国立博物館の考古学のコーナーを見たいと思っていた。私も以前そこで新潟県から出土した立派な火炎式縄文土器を見たことがあって大変感銘を受けたので、夫にも見せたいと思った。今回、私はドラえもんの映画に出てきた遮光器土偶の本物を見て、思わず「ドラえもん…」とつぶやいてしまった。 もちろんそこへ行ってよかったのだけれども、そこへ行く前に立ち寄った科学博物館の『氷河期展』がとてもよかった。10月までやっているのでついでのある人はぜひどうぞ、と言いたい。 そこで学んだことはたくさんある。 まず、地球は現在も氷河期にあるということ。 260万年前に氷河期が始まり、およそ10万年ごとに氷河が大きく地表を覆う氷河期と氷河がとても小さくなる間氷期とが交互に訪れていること。 2万年前にとても寒冷化した氷期があったが、それ以降温暖化して現在は間氷期にあること。 氷期では海水面は大きく後退し、陸地が広がるが、間氷期では氷が解けるので、海水面が上昇すること。 今は氷河はとても小さくなっている。 そして、10万年ごとの周期を決定づける要素が3つあること。 ミランコビッチサイクルといって「離心率」「地軸の傾き」「歳差運動の変化」によって氷期と間氷期が周期的に訪れるという。 難しいけれども、簡単に言えば太陽と地球の距離が一定ではなく、公転軌道などが違うために変化するということ。簡単に言えば、太陽に近ければ熱いし、遠くなれば寒いということ。 そのうえCO2濃度が地球の温暖化に大きく影響している。太古の昔もCO2が海に吸収されたり岩に吸収されたりして変化するのだそうな。 ところが、そうか、今の温暖化は10万年周期から見ると仕方ないんだ、とはならない。過去10万年周期でCO2の変動幅は100ppm程度であった。過去10万年で100ppm程度変化していたのに、現代は30~40年間で100ppmも上昇しているというのだ。かつてないスピードである。しかも現在は420ppm(世界平均濃度)もある。地球上で最後にCO2濃度が400ppmを超えたのは400~300万年前だという。当時の平均気温は現在より高く、海面も10メートル以上高かったそうな。 うーん、来るべき氷期が来れないかもしれない。1万年以上は間氷期が続くのみならず、人為的なCO2濃度の押し上げにより平均気温は今後もっともっと高くなる可能性がある。 あ”~、これ以上暑い日が続くのは耐えられない、と思う。 来年はホームステイなんか引き受けずにさっさと冬のオーストラリアへ引っ越ししよう。 でも問題はそこじゃない。 #
by pompom518
| 2025-09-02 22:06
| 旅
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2025年 09月 02日
北森嘉蔵先生の『神の痛みの神学』十二は「神の痛みと終末論」 終末とはいったいどのような時であるのか?について書かれている。 北森先生はマタイ24章14節の言葉「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」を中心に語られる。 以下に論点をまとめる。 つまり、全世界に福音が宣べ伝えられて、それから終わりが来る、というのだ。
神の国の到来とは神の愛による神の支配の到来である。 神の愛は神の福音にあらわされる。 つまり空気のように神の愛の福音が地上を覆う時、神の支配が実現される、というのだ。 すべての疑問が解決し、すべての涙が拭われ、世界が救われる。
世界の救いとしての福音の徹底がなされる。
福音の本質は神の痛みである。 痛みが徹底する時、終末は到来する。 人間の痛みは神の痛みを証しする。 人間の痛みは神の怒りの現実である。 神の怒りの現実が神の痛みへの証しとして用いられるなら、それは神の恩寵による。 世界の痛みは神の痛みの証しとされることで神の痛みは癒される。 神の痛みの徹底は神の痛みに基礎づけられし愛である。 だから「その患難ののち」「人の子」が現れる。 神の痛みの勝利としての神の愛の実現である。
神の痛みとしての罪の赦しは恩寵である。 神はこの恩寵のみによって一切の解決をなしたもう 我々はこの恩寵を信じる信仰のみによって全き救いに入れられる。 「恩寵のみ」「信仰のみ」が合言葉 イエス・キリストの実現によってすでに終末は到来したといえる
罪の赦しとしての恩寵は、罪人を聖化せんとする。これが神学的現実態としての聖化秩序ないし救済秩序である。 しかしこれは未解決 我々世界の不従順が存する。
神学的公理と神学的現実態、解決と未解決が一つに結合している(フィリピ3:12)つまり終末はすでに現実となっておるにも関わらず将来に追及されるべきものとして示されている。
解決の中の未解決ーこの現実の中に生きる信仰こそ終末論的であり根本的である。
神の痛みは徹底的に包む原理、終末論も徹底的に包む性格である。
だから「否定の原理」や「拒絶の神学」としての終末論とは根本的に相違する。 以上を読んで私の感想。 イエス様の到来によって神の支配が到来したはずだけれども、我々の罪は「赦す」と宣言されても依然としても残っているという現実。そこをどう考えてよいのかわからなかったけれども、 「解決の中の未解決」という言葉がすとんと胸に落ちる。 罪の赦しは解決されながらもわれわれの完全なる聖化は未解決の課題として持ち越されている、ということ。待ち望まれることとしてあること。 もう一つ、終末においては「否定」される人、「拒絶」される人がいるのではなく、徹底的に包まれるということ。これは嬉しい福音だと思った。 ![]()
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by pompom518
| 2025-09-02 21:02
| 読書
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2025年 09月 02日
アメリカ政府により選ばれた連邦政府の職員10名が毎年、日本で研修をする。
最初の1年間はアメリカなどで日本語の研修を受ける。 次の2年目は日本に来日し、7週間のホームステイの後、日本の各省庁で研修する。 自民党の林芳正氏などがこのマンスフィールド財団のプログラムの立ち上げに関わったそうだ。 石川県では2000年からホームステイを受け入れている。 我が家にも研修生が訪れて楽しく7週間を過ごすことができた。 でも、ブログに書きたいことがいっぱいあったのに、書けなかったのでまとめて書いておきたい。 まず、新聞記事で心に残った言葉から。 「憎む心が恥ずかしい」というウクライナの人々を取材した北陸中日新聞の2025年8月21日の記事。 ここでは1930年代のホロドモールの記憶が語られる。 これはスターリンによって人為的に引き起こされた大飢饉で、非常に凄惨なできごとであった。 ソ連政府による吊るし首とか銃殺とか以上にまず、660万頭の馬が斃死、牛も同じく飼料がなく死んでいった。 食べる物が何もない状態にされた人々は330万人から数百万人がわずかな期間で飢餓のために死んでいった。 豊かな穀倉地帯ウクライナであった本当の話。 ソ連によって引き起こされた悲劇。 そして今も。 だからウクライナの人々はロシアを憎いと思っても無理はないと思う。 若い日、満州でソ連兵につかまり、ソ連兵の銃を磨いたりいろいろな雑役をさせられていた父は、死ぬまでロシアが嫌いだった。 ところが、ウクライナのイリナさん(ウクライナからの避難民 名古屋市内)は「こう思うのは本当に恥ずかしい」と言う。 実際ロシア人とウクライナ人の結婚は珍しいことではなく、我が家にホームステイしていたジェス(母親がウクライナ人)の恋人もロシア人である。 一体どういう心理なのだろう? 「こうした気持ちも戦争を避けるために大事な知性の働きです」と大渕憲一教授(社会心理学者・東北大学)はいう。 そうか。 憎む心は恥、と思うから、憎しみを愛で返すことができるのだ、と思う。
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by pompom518
| 2025-09-02 15:18
| 読書
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2025年 08月 07日
2025年8月6日の広島。
平和記念式典をテレビで見ていて湯﨑英彦広島県知事のメッセージに心が釘付けになった。 居並ぶ世界の核保有国の代表者を前に、「核抑止論はフィクション」に過ぎない。 「自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきた」 「戦争を抑止するために、核抑止のために使われている14兆円の十分の一でも使って、外交やソフトパワー等安全保障のために頭脳と資源を集中せよ。」 「核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではない」 「瓦礫に挟まれ、身動きのとれなくなった被爆者が、暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這い進んだように」 「核兵器廃絶に向けて、諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。」 「原爆犠牲者の無念を晴らすために、核廃絶という光に向けて這い進み、人類の、地球の生と安全を勝ち取ろう…」と淡々と語られた。 全文を以下に掲載する。 被爆80年目の8月6日を迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊に、広島県民を代表して謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお苦しみの絶えない被爆者や御遺族の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。 草木も生えぬと言われた75年からはや5年、被爆から3代目の駅の開業など広島の街は大きく変わり、世界から観光客が押し寄せ、平和と繁栄を謳歌しています。しかし同時に、法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、剝き出しの 暴力が支配する世界へと変わりつつあり、私達は今、この繁栄が如何に脆弱なものであるかを痛感しています。 このような世の中だからこそ、核抑止がますます重要だと声高に叫ぶ人達がいます。しかし本当にそうなのでしょうか。確かに、戦争をできるだけ防ぐために抑止の概念は必要かもしれません。一方で、歴史が証明するように、ペロポネソス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念または心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです。 自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。我が国も、力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が 前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを、身をもって示しています。 実際、核抑止も80年間無事に守られたわけではなく、核兵器使用手続きの意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、破綻寸前だった事例も歴史に記録されています。 国破れて山河あり。 かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。 国守りて山河なし。 もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味があるのでしょう。 抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。核抑止の維持に年間14兆円超が投入されていると言われていますが、その十分の一でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。 核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありません。被爆で崩壊した瓦礫に挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這い進み、最後は抜け出して生をつかんだように、実現しなければ 死も意味し得る、現実的・具体的目標です。 諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。 そこに向かって這っていけ。(2017年 ノーベル平和賞授賞式でサーロー節子氏のスピーチより 広島県が翻訳) 這い出せず、あるいは苦痛の中で命を奪われた数多くの原爆犠牲者の無念を晴らすためにも、我々も決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて這い進み、人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか。 広島県として、核兵器廃絶への歩みを決して止めることのないことを誓い申し上げて、平和へのメッセージといたします。 令和7年8月6日 広島県知事 湯崎英彦 ![]() #
by pompom518
| 2025-08-07 17:24
| 平和
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2025年 07月 30日
平和を思う夏である。 今年は写真集「トランクの中の日本」米従軍カメラマンの非公式記録(写真 ジョー・オダネル 小学館) を読み、(見て)「神様のファインダー」(ジョー・オダネル氏の妻 坂井貴美子編著)を読んだ。それから写真絵本「ヒロシマ 消えた家族」とその関連本を読んだ。 「焼き場に立つ少年」はカトリックのフランシスコ教皇が2017年に長崎の原爆資料館を訪問した後、この写真に「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて教会関係者に配布するよう指示したことから再び注目を集めた。 「トランクの中の日本」で、ジョー・オダネル氏はこの写真に次のように書いている。 「(死体を焼く)焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。 …少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。…軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。…」(96p) 私は1945年の長崎という場所から、この少年の置かれた状況をいろいろ想像してみると涙がこみあげてくる。 NHKではこの少年についていろいろ探し、またこの写真のカラー化なども試みてテレビ番組を作成している。 カラー化して分かったことは、少年が唇をきつくかみしめていたため唇から血がにじんでいたこと。目の端が白くなっていること、鼻にも詰め物をしていることから体内被ばくによって骨髄が傷つき、体中が出血しやすくなっていたようだということ。 名前まではわかったが、その後彼がどうなったかを知る人はついぞ現れなかった。名前を教えてくれた人によると彼は弟をおぶってお母さんを探していたという。 戦争は世界中でこのような少年を生み出すのだ。 決して戦争をしてはいけない。 以前から世界の紛争地で紛争解決のために汗してきた伊勢崎賢治さん。私は「本当の戦争の話をしよう」という本から関心を持ち始めていたが、その伊勢崎賢治さんが参議院選挙で「れいわ」から出馬して驚いた。けれども、私は彼の演説で「そうだ」と思ったことがある。 それは「日本は自衛なんかできない」ということ。 沿岸にたくさんの原発を稼働させている日本は原発にミサイルを撃ち込まれたなら、広島・長崎と同じこと、いやもっと酷い惨状になるからだ。福島はいまだに解決の目途がたっていない。「原発安全神話」から「放射能安全神話」へと偶像の神話はどんどんひどくなっていく。 今を決して「戦前」にしてはいけない。 そのために私たちはもっと考えなくてはいけない。 #
by pompom518
| 2025-07-30 17:31
| 平和
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