2015年 01月 30日
悔い改め |
今週の水曜日、わたしたちは洗礼者ヨハネの記事を読みあっていた。
「悔い改めよ。天の国は近づいた」とある。
堀江牧師は「悔い改めって何なんでしょうね」と問いかけられた。
新約聖書注解(49p)には次のようにある。
「旧約において悔い改め(立ち帰る、シューブ)は重要な概念の一つで、真の礼拝すべき神に背いた人間は速やかに悪から離れ、主に「立ち帰る」べきことがしばしば説かれている」
「悔い改めは常に心情的な「後悔の念」とか「反省」でなく、生の全体的方向転換であり、神への復帰である」
「悔い改めとは神との人格的関係へ再び入り直すことであるから、それは神の救い(神の与える生、霊)を裏付けにして成り立つものである」
長い間「悔い改め」とは「行いを悔いて今よりは正しく改めること」という国語辞典的な意味だと思っていた。漢字の印象からなんとなくそう思っていた。堀江牧師から「方向転換することなんだよ」と何度も聞かされてもなかなか理解できないでいた。反省のポーズをする猿がテレビに出ていて、「反省は猿でもできる」という言葉も聞いた。そうだな、猿でもできることを何回もやっているなんてなんてアホなんだろうと思っていた。
でも今は「方向転換」の意味がわかる。水曜日に「悔い改めとはいつも神さまの方を見ていることだと思う」と答えたら、一人の兄弟から「具体的にどういうこと?」と聞かれた。私は「さっき調子のいい時は神さまを忘れてしまうと言う人がいたけれど、調子のいい時には「神さま、ありがとう」と言い、辛いときには「神さまは私に越えられない試練を与えるはずがない」と思い、いつも神さまとお話ししていること」と答えた。本当は「一瞬たりとも神様のことを思わないときがないこと」と答えたかったけど、そこまで言い切る自信がない。
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by pompom518
| 2015-01-30 20:16
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