十字架の下に悔い改めて平和の使者として生きよ |
金沢教会で長く長老を務めた深谷松男さんが昨年91歳で「福音主義教会法と長老制度」という本を出されましたが、まだ平和の本を書きたいとおっしゃっていた。それが今年「二一世紀の友に贈る平和へのメッセージ 」という本となって、息子さんが校正し、出版された。
この本には平和への祈りとメッセージが書かれている。
世界は右に左に振り子が揺れるように揺れている。今は右に大きく揺れている。第二次世界大戦の後に平和のためにつくられた国際連合が機能しなくなっている。人間の力による平和は、人間の力を過信するあまり失敗する。人間の力による平和ではなく、神の支配による平和を求めよう。
エフェソの信徒への手紙はキリストにある平和を追い求める手紙である。神からの信託を受けて生きることがキリストの平和に生きることである。まず、十字架のもとに私たちの罪を悔い改め、キリストの御言葉を聞く。神からの信託を聞く。悔い改めなくして平和はない。
きょう読んだエフェソの信徒への手紙では13節以降が重要である。エフェソの教会に対立があった。十字架のキリストの前でひざまずけ。キリストが隔ての壁や敵意を打ち滅ぼしてくださった。キリストがすでに自分の命を犠牲にしてまで敵意という隔ての壁をとり壊してくださった。
5月8日、コンクラーベでローマ・カトリック教会に新しいローマ法王が誕生した。ローマ法王は平和の大使と言われるが、プロテスタントではわれわれ一人一人がキリストの平和の大使であり、使徒である。平和の大使として、家庭に、職場に、学校に派遣される。この十字架においてこそ、神は平和を実現してくださった。私たちはもはや古い生き方をしていない。
聖書の中に「怒っても罪を犯すな」「怒っても翌朝まで持ち越すな」という言葉がある。若草教会にいらした加藤常昭牧師が輪島教会の伝道集会で「怒っても罪を犯すな。くさった言葉を語るな」という説教をしたことがある。あちこちにポスターや看板を立てて宣伝したけれども、新しい求道者は誰も来なかった。だが、会が始まるころ、輪島塗の職人という若い人がやってきた。きょうも怒られたかのようだった。人は怒る時、自分の正義を語る。正義感から怒りが生まれる。悪い言葉、くさった言葉を語るな。その青年は後に洗礼を受けたという。
深谷長老は本の最後を「よきサマリア人のたとえ」で結んでいる。
平和と愛は口づけする。
「私の隣人は誰ですか?」と問う問いは私が中心である。イエス様は「誰がこの人の隣人となったか?」と聞かれる。それは自分中心の問いとは全く異なる。イエスは「行ってあなたもその通りにしなさい」と言われる。私たちは愛の使者として遣わされている。









